レンズ沼にどっぷりと。
こんなに35mmばっかりあってどうするんだと自問自答しながらも、美味しそうでつい。
このレンズの出自は
ここにたっぷりと。
このlegend感が堪らないんですよ。
写真撮影は心情が大部分なんだから、こういう伝説的なものが心情に左右する部分がかなり大きいはず。
自己満足でもいいから酔うのが大切だとw
で、これはほぼ新品というコンディションでebayに出ていたのを落札したのが昨日到着。配送に約一週間かかった模様。
ギリシャから郵便小包だったのだが、Webでトラッキングできなくてハラハラしていた。
ギリシャの郵政省のWebには「電話しろ」って書いてはあるんだが...言葉わからないし。
体調もよくない上に、さらに曇天じゃ遊ぶこともできないので感想もあったもんじゃないが、庭先の花をちょこっと撮ってみた感じ、渋く憂いを帯びた色を出すといった感想。
Distagon 1.4/35は、艶っぽくてある意味エロい絵を出すなあと感じていたのだが、それとはまた違った味。
で、何がすごいって、最短撮影距離。レンズ前数センチまで寄れる。その上、ピントリングの回転量が多いので微妙なフォーカスができる、ってことは、まんまマクロレンズっぽく使える。ただ、鏡筒は結構伸びる。
ボケ味は開放F値が2.4なのでそれほど云々するものでもないと思うけど、良い意味で裏切られて、いい感じに自然な感じ。
逆に、無限遠はDistagonよりシャープさがある様子。
まあ、今後使い込んで癖と味をつかんでいこう。
ただまあ、子供を追いかけるときは純正AFレンズじゃないと歩留まり悪いだろうな。
使い分け的には、心情を残すか記録写真が目的か、という気持ちの問題になると感じている。一言で言っちゃえば「ノリ」でしかないが。
現代のレンズは記録写真はいけるけど、心が残りにくい気がする。
それはやっぱり写すときの手間の量だと思う。
AFでびしびし撮るのは確かに確実。だけど、心を込められないんだよな。込めてるという実感が無い。速すぎて込められないとでも言おうか。
MFでじっくりフレーミングしてると、フレーミングしてる間に「あ。これは捨てたい。こっちは入れたい」って考える時間ができる。
それがきっと大きな差になってると思う。
どっちが良い悪いじゃない。ケースバイケース。
記録写真だって、息子が成長したときに「小さい頃はこうだったよなあ」っていう歴史を記録したものとして振り返る材料には十分すぎる。
MFでじっくり撮り込んだ写真は、そのときの心情を思い返すだけの思い入れと記憶があるはず。
両方共あっていいんだと思う。
だから、今は撮りたい形で撮りたいものを撮っていけば良い。
堅苦しく考えて撮るのを躊躇してしまう方がいけない。
もしかしたら、息子が偉人になったりして、100年後になって貴重な品として扱われるかもしれないのにw
でも...記録メディアとして、HDDとかだと発掘とか発見とかっていうのは程遠いよな。
紙焼きしたものだったら、神保町の古書店街や大学の所蔵品から見つかりましたというケースがあるんだろうが。
100年後には「古いHDDを解析していたら見つかりました」とか言える?
それは無いよね。HDDなんか消耗品なんだから捨てちゃうよね。
良いのか?それで、と思ってしまった今夜。